【当ブログ管理人からのお知らせ】


訪問型パソコンサービス「誰にでもパソコン」は、日頃パソコンを御使いの中でのちょっとしたお困り事を解決します。

以下の3つのサービスでパソコンのお困り事にお応えします。

サービス1<パソコン設定サービス>
パソコンの初期化やインターネットの接続、プリンターの接続など、面倒で手間が掛かる作業を行います。

サービス2<ピンポイントレクチャー>
「パソコンについてここだけを知りたい」
「ワード・エクセルは使った事が無いが簡単な文書や集計表を作る方法だけを知りたい」
「デジカメ写真をDVDに保存する方法を知りたい」
等の様なピンポイントな御要望についてレクチャー致します。

サービス3<訪問パソコンレッスン>
パソコンやワード、エクセル、パワーポイント、アクセス等について一から身に付けたい方の為のマンツーマンレッスンです。
パソコン教室の様な授業回数や期限は設けず、納得頂けるまでレッスンを受けて頂けます。

パソコン教室、カルチャースクールでパソコン講師を務めた経験のある当ブログ管理人が、御客様の元へお伺いし、上記3つの
サービスでパソコンのお困り事を解決致します。(サービスエリアは、東京・神奈川です!

「誰にでもパソコン」の詳細は、こちらのホームページを御覧下さい。(当ブログ管理人プロフィールも掲載しております)



PC教室では教えない豆知識:Windowsパソコンのルーツへタイムスリップ! (前半)

私たちが普段使っているWindowsパソコンは、様々な家電メーカーやパソコンメーカーから販売されていて、予算や用途に応じて自由に選ぶ事が出来ます。

そこでこんな疑問を持った事はありませんか?

「なぜメーカーの違うパソコンでも周辺機器やソフトは共通で使えるんだろう?」

答えの一つは、Windowes7やWindows10などのWindowOSと言う共通のOS上で動くパソコンであるから。

もう一つの答えは、メーカーは異なってもパソコンの中身は同じ規格の為にパソコンの中身の基本的な部分は皆同じだからです。
※パソコンの違いは、機能(例:TVチューナー付き、カメラ付き)や性能(例:HDD容量、メモリ容量、CPU処理速度)です。

所が1990年代初頭まではパソコンの規格はメーカー毎にバラバラの状態だった為、周辺機器やソフトは対応するパソコンでしか使えませんでした。

そんな中、海外から来た、とあるパソコンがきっかけで国内のパソコンは今日のWindoewsパソコンとなったのです。

そこで今回と次回は、1990年代初頭のパソコン事情を交えつつ、Windowsパソコンのルーツを辿り、現在のWindowsパソコン誕生の経緯についてお話しします。

前半となる今回は、1990年代初頭のパソコン事情と現在のWindowsパソコンのルーツとも言うべきパソコンが日本に来るまでの経緯をお話しします。

それでは続きをどうぞ!
【1990年代初頭のパソコン事情】

①パソコンと言えばPC-9801と言われたNEC一人勝ちの時代:

日本国内でインターネットの商用利用が解禁された1993年、この年はNECのPC-9801と言うパソコンが世に出ておよそ10年の年でした。

現在は様々なメーカーがパソコンを販売していますが、この当時はパソコンと言えばNECのPC-9801と言われる程にパソコン市場をほぼ独占していた時代で、「国民機」とまで呼ばれていました。

他社も以下の様なパソコンを販売はしていましたが、PC-9801の市場独占を覆すには至りませんでした。

・SHARP:X68000、MZシリーズ
・富士通:FMシリーズ
・東芝:Dynabookシリーズ
・APPLE:Macintosh(マック)
※この頃はNECを含め、各社ともにパソコンはノートパソコンでは無く、デスクトップパソコンが主流でした。

今はパソコンの規格は統一されている為に、パソコンのメーカーに関係無く周辺機器やソフトウェアは共通で使えますが、この当時のパソコンはメーカー毎に独自規格だった為に周辺機器やソフトウェアは対応するパソコン以外では使えませんでした。

例外的にEPSONがNECとの著作権裁判などの紆余曲折を経て、PC-9801パソコンの互換パソコンを販売していました。


②思わぬ黒船到来「PC/AT互換機パソコン」:

こうして日本国内のパソコン市場は長らくNECの一人勝ちの時代が続いていましたが、1990年初頭に思わぬ黒船が日本の
パソコン市場に登場し、NECの天下を揺るがす事になったのです。

それはIBM社のPC/AT(ピーシーAT)と言うパソコンの互換機、つまりクローンパソコンの登場です。

当時、世界ではIBM社がIBM-PCと言うパソコンで市場を席巻していました。

その後、IBM社はPC/ATと言うパソコンを販売したのですが、何とIBM社はPC/ATパソコンの仕様を公開しました。

それは様々なメーカーにPC/ATパソコン用の周辺機器やソフトを開発して貰い、PC/ATパソコンの市場を拡大しようと言う思惑があったのです。

しかし、IBMの思惑とは裏腹にPC/ATの仕様公開は思わぬ展開を見せたのです。

それは様々なメーカーがPC/ATパソコンの互換機を製造、販売したのです。

莫大な資金を投じてPC/ATパソコンを開発したIBMに対し、公開された仕様に基づいてパソコンを作るだけの外部メーカーは
低コストでパソコンを製造・販売する事が出来た為、低価格のPC/AT互換機は本家IBMを凌ぐ勢いで市場を席巻していったのです。


③日本市場への参入を阻む日本語と言う壁:

以上の様に海外ではPC/AT互換機はメジャーな存在でしたが、PC/AT互換機が日本市場に参入するにはNECと言う巨人が立ちはだかっていた事と、「日本語」と言う更に大きな壁が存在していました。

当時、パソコンで文字を表示する仕組みはパソコン本体にあった為に、アルファベットと記号だけで良い海外のパソコンを日本語が扱える様にするにはパソコン本体に日本語を表示する機能を搭載する必要があり、これは日本向けのPC/ATパソコンを新たに開発するも同然で、その為の技術と開発コストと言う高いハードルをクリアしなければなりませんでした。

その上、27文字のアルファベットと比べ、日本語にはひらがな、カタカナ、更に膨大な種類の漢字がある為、日本市場への参入は思いの外に高いハードルだったのです。

しかし「IBM DOS J4.0/V」と言うOSが登場し、このOS自身に文字を表示する機能を持たせた事により、日本語表示が出来ないPC/ATパソコンでもOSをIBM DOS J4.0/Vにするだけで日本語が表示出来る様になり、NECと言う巨大な壁は立ちはだかってはいたものの、日本語表示と言う壁が無くなり、晴れて日本のパソコン市場へ参戦となりました。


④PC/AT互換機に魅せられたパソコンマニア:

こうしてPC/AT互換機は、1993年頃から秋葉原のパソコンショップにポチポチと並びはじめ、一部のパソコンマニアが、それまでのパソコンには無い以下の様な魅力を感じて触手を伸ばしていました。

・自分の希望する性能や機能を持ったパソコンを自作出来る。
・規格が統一されている為、様々なメーカーから周辺機器やパーツ、ソフトを選択出来る。
・パソコンの各パーツを自由に入れ替えてアップグレードする事が出来る。
・純正PC/ATパソコンよりも価格が安い。
・ビジネスから趣味まで、ソフトの種類と数が豊富。

当初は海外の輸入互換機が販売されていましたが、その後、DOS/V(ドスブイ)機と称して国内の様々なメーカーが製造、販売を行い、
また、ショップブランド品と言う秋葉原のパソコンショップが独自に組み立てたDOS/V機も販売され、パソコンマニアの間では
時ならぬDOS/Vブームが訪れたのでした。

しかし、パソコンマニアの間だけの一過性と思われたDOS/Vブームが、その後、国内パソコンメーカーを巻き込む一大転換期を
迎える事になり、現在のWindowsパソコン誕生となるのですが、その辺のお話しは次回にお話します。
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